ハワイアンミュージックから辿るフラダンスの歴史

フラダンスの中には、ハワイアン・ミュージックを使うものと、使わないものがあります。アウアナとカヒコ。現代的、古典的と分けられる2つは、何が同じで何が違っているのでしょうか。それは、フラの本質と辿ってきた歴史によって生まれた差異でした。

フラ・アウアナで使われるハワイアンの名曲とカヒコで使われるもの

まずはハワイアン・ミュージックの名曲を5つご紹介しましょう。1つ目はサザンオールスターズの夏の定番曲『真夏の果実』を、クムフラとしても活躍する歌手Sandiiがカバーしたものです。ハワイの文化において、メレ(歌)にはマナ(魂)が宿るとされています。そしてそのメレを表現する手段として誕生したのがフラ(踊り)だというのです。この曲を元にしたフラの振付があれば、我々日本人が見れば何を意味した振りつけなのか、すぐに理解できるのかもしれませんね。Sandiiは自分のルーツになるハワイアン・ミュージックをライフワークと見据え、「サンディーズ・ハワイ」というシリーズとして出しています。

2つ目も日本の曲のカバーです。『涙そうそう』のカバー曲『Ka Nohona Pili Kai』。タイトルの意味は『海辺の家』辺りでしょうか。フラガールを名乗る者なら知らない人はいないと断言できるほど有名なハワイ出身のミュージシャン、ケアリイ・レイシェル。彼女が来日したときに聴いた『涙そうそう』にインスパイアされた結果生まれたのが、このKa Nohona Pili Kai』です。歌詞の内容はオリジナルから変更されていて、小さい頃に遊びに行った、おばあさんの住んでいた海辺の家。それを懐かしむ内容です。歌詞そのものは変わっても、どちらの曲からも自分のルーツや祖先に対する想いを感じ取れるという、少し不思議な共感を覚える曲ですね。

3つ目はハワイの有名なクムフラであるイーディス・カナカオレが1970年代に生み出した名曲『Ka Ulwehi O Ke Kai』です。邦題にすると『海からのおくり物』で、足の裏が焼けるほどの炎天下の砂浜で、海藻採りをしている情景を歌った内容です。歌詞にあるリポアやリム・コフ、パヘエヘエやリパルといった単語は全て海藻の名前です。しかし、実はこのさまざまな海藻を異性として見立て、いろいろなタイプの海藻、つまり恋人を探すという意味が含まれているという話も。『見立て』は歌のみならず多くの分野でお馴染みの要素です。フラソングも例外ではありません。人の考えることは、東西・時代を問わないようですね。

4つ目はフラのためにある曲と言い切っても構わないだろう曲『Do The Huka』です。フラの定番曲としてとても有名で、結成から30年を超えるハワイの女性トリオNa Leoが世に送り出した名曲です。「言いたいことがあるならフラを踊ろう」とフラの本質と魅力を語る内容になっていて、高揚感のあるリズムがまた踊りやすいんです。

トリを飾る5曲目、エルヴィス・プレスリーのカバーした名曲『ブルー・ハワイ』が紹介する最後の一曲です。歌詞の内容はひたすらシンプルなラブソングで、なかなかに歌う人を選びそうです。

ここで紹介したものは、どれもハワイアン・ミュージックと言われて思い浮かべるイメージからそう外れたものはありません。実際にこれらの曲でフラダンスを踊っている人は大勢います。ですが、それは現代的な『アウアナ』と呼ばれるフラで、古典的と言われる『カヒコ』ではまず使われません。カヒコで使われる曲はチャントと呼ばれる祈りの言葉や、自然のものを材料にした打楽器による、原始的なリズムでした。アウアナとカヒコは一見すると丸っきり違うように見えるのに、同じフラダンスだとされています。これは何故なのでしょうか。

同じ括りだけどまるっきり違う楽器

現代フラであるアウアナでも、古典フラであるカヒコでも、音楽を奏でるための楽器が使われます。カヒコは人の歌声と自然のものを加工して作られた打楽器だけで踊りますが、そこには確かにリズムがあって、音楽として成立しています。

(ウリウリをもつ男の子)

ウリウリと呼ばれる楽器は、ラアメアと呼ばれるひょうたんのような物の中をくり抜き、木の実を中に入れた楽器です。振るとマラカスのような音がします。さまざまな色の鳥の羽を使って装飾したものもありますね。

出典元:amazon

プイリは竹を切って先に細かい切れ込みを入れたものです。両手に一本ずつ持って、叩いたり体に当てて音を出します。もちろんフラを踊りながらです。イプは日本語に直すとそのまま『ひょうたん』という意味になるそうです。中身を繰り抜いて乾燥させて作りますが、形状によってイプヘケ、イプヘケ・オレと2種類に分けられるそうです。カヒコを踊るとき、チャントを唱える人はイプヘケを叩きながら唱え、祈ります。サメ皮を使った太鼓のような形をしたパフは、本当に太鼓のように使います。

こうした自然の楽器の伴奏で行われる踊りは、神に捧げる神聖なものとして扱われてきました。一方、アウアナで使われるハワイアンミュージックにはギターやウクレレをはじめとした、多彩な楽器が使われます。

特にウクレレはハワイ音楽の歴史を一変させたと言っても過言ではないほどの存在です。歴史そのものは意外と浅く、19世紀の末にポルトガル系移民が持ってきた『ブラギーニャ』という小型ギターが原型だと言われています。ウクレレの語源は諸説あるようですが、ハワイ語では『ウク』で贈り物、『レレ』でやってきたという意味があります。ポルトガルから来たことにちなんだという説ですが、だとしたらなかなか詩的な名付けですね。

文化を秘めた振り付け

フラはメレを表現する手段として生まれたと先ほど書きましたが、それはしっかりと現代にも伝わっています。フラダンスにおける振り付けにはそれぞれちゃんと名前と意味があって、これを駆使して気持ちや自然といったものを表現するのです。

例えば最も有名であろうハンドモーション『アロハ』は、広げた両手をゆっくりと胸の前で交差させる動作です。アロハの意味は複雑で、上手く一言で表すのは難しいと言われますが、誤解を恐れずに言えば大きな意味でのです。隣人愛や博愛の心など、相手を好ましく思う類の感情を表すのがアロハです。そう聞くとあのハンドモーションは、大切な人をやさしく抱きとめるしぐさのようにも見えますよね。

分かりやすいのは『ワイマカ(涙)』です。両の手のひらを内側に向けて、目から顎にかけて指をなびかせながら下げていきます。見れば一発ですよね。自然を表現するものだと、『アーイナ(大地)』は手のひらを下に向けて、撫でるように横の開いていきます。大地が広がるイメージだと言われれば、なるほどと思えますよね。

もちろんハンドモーションだけでなく、体の動かし方や表情の作り方など、全身を使って表現します。同じ涙のハンドモーションであっても、笑顔でやるのと悲しげにやるのでは意味が真逆になってきますよね。フラには自然と調和した暮らしを送ってきたハワイの人々の、海の幸や山の幸、大地の恵みへの感謝。日々の営みの中で育まれる愛情や信頼といった心の現れでもあったのです。

今でもそれは変わらず、ハワイの人々はフラを踊る目的や、それぞれの動きに込められた意味を理解していますし、それを大切にしています。これはカヒコでもアウアナでも同じですね。古代と言うほど古い時代までは遡りませんが、ハワイを含むポリネシア一帯には文字という概念がなかったそうです。

それでも人は生きていますから、何かを伝えたり残したりする手段を生み出しました。それがフラでした。アウアナとカヒコが同じフラとして扱われるのは、同じ文化に根ざした踊りだったからです。しかし、何故こうまで大きな違いが生まれたのでしょうか。その疑問は、フラの辿ってきた歴史が解決してくれました。

フラの歴史について

現代のフラと違って、古代のフラ宗教儀式の一つでした。ハワイの神話では、フラは神様が生み出したものだとされています。現在でもその神様はフラの守護神として、ハワイの人から厚い信仰を受けています。

もう一つの歴史的な役割は、歴史を継承する媒体だったということです。古典フラとも言われるカヒコにはメロディアスな音楽はなくて、チャントや太鼓の音が伴奏でした。そしてその踊りはチャントの内容を表現するもので、ある意味ではパントマイムのようなものだったと言われています。

手の動きが雨や風、花などの自然現象を表し、一つの踊りで一つの物語を形作っていたわけですね。人が人以外の存在になり、音と共に身振りで表現する。こう書くと、日本の能楽に通じるものがあるようにも思えます。こうしたフラを踊れる人は特別な存在で、誰もが踊れるものではありませんでした。才能ある男女を選び、守護神を祀る寺院で長期間に渡る特訓を受けさせ、神と自然を讃える踊りや歴史を伝える踊りを覚えさせるものです。

フラダンサーはまさに、その次代のハワイを代表する文化の担い手だったわけですね。ですが産業革命後、ハワイが世界情勢の波に飲まれると、フラにとっては厳しい時代に突入することになりました。西洋の国々と関係を持って交易の拠点として重要視されたハワイは、だんだんと多数の部族から国へと統一化が進み、ついにハワイ王朝が誕生します。王朝成立自体は悪いことではなかったのですが、アメリカから来たキリスト教宣教師はやっぱり、自然崇拝を体現するフラはキリスト教には都合が悪いと考えます。ええ、いつもの西洋人のパターンですね。

そしてカメハメハ2世によってフラ禁止令が出されます。禁止されたのはフラだけではなく、サーフィンをはじめとする他の伝統文化もです。これによっておよそ50年もの間、ハワイの文化は歴史から姿を消してしまったのです。やがてはハワイ語もアルファベットに変わり、口伝による言い伝えは印刷技術によって紙に貼り付けられます。こうした世界の流れの中、ハワイの伝統文化を守る動きを見せたのがハワイ王国7代目君主、デイヴィッド・カラカウア王でした。即位式でハワイ伝統の儀式を行い、フラ・カヒコも公式の場で披露したと言われています。

ハワイ固有の文化を復興する兆しを作ったのは、間違いなく彼の王でした。フラもその中に含まれています。フラダンサーを宮殿に住まわせ、客を招くたびにパフォーマンスの機会を作るなど、全面的なサポートがありました。それだけでなく、クラシック音楽やピアノを貪欲に取り込み、今に続くハワイアン・ミュージックの魁となったのもデイヴィッド・カラカウア王でした。そして、その音楽に合わせて踊る『新しいフラダンス』が生まれました。フラをはじめとするハワイ固有の文化の復興は、実際には1970年代になるまで、大きな流れにはなりませんでした

ハワイ人がハワイ人としての自信と誇りを取り戻してから、まだ半世紀も経っていません。ですがこの長い苦難の歴史の中でもハワイの文化はひっそりと、でも連綿と受け継がれて、途切れることはありませんでした。フラもそうです。当時は各地でフラの競技会が行われ、フラ人口を増やそうとする動きも活発になったそうです。

そのイベントでは、喜びの感情を溢れさせながらフラを踊る人の姿がたくさん見られたそうです。多くのクム・フラもこの時期に誕生しました。フラにとっての冬の時代が終わった時代です。古典であるフラ・カヒコは1964年から開催されてきた『メリー・モナーク・フェスティバル』が、1971年にコンペティションとして形式の変わったのを契機に、今の形であるカヒコとアウアナとして分けられ、どちらも踊られるようになりました。

限られた人間にしか踊れないものから、誰でも踊れて楽しめる文化へと変わったことも、大きな変化の一つでしょう。

まとめ

現代的なアウアナと古典的なカヒコ。その2つはあまりにも違っていて、一見すると同じフラだとは思えないという意見もあります。ですがこうしてフラの踊りが意味する内容やたどってきた歴史を紐解いてみると、共通する部分がどこなのか、違いは何故生まれたのかが分かっていただけたでしょうか。

フラ不幸な歴史を乗り越えて、今のように広がりを見せ、たくさんの人が楽しめる姿になりました。理不尽に耐え、新しい流れを取り込む文化の強さ、素晴らしさを見たような気がします。

 

 

 

 

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