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歴史3:ハワイアン・ルネッサンス運動

https://hawaiiarchivists.org/2014/06/25/save-the-date-hula-preservation-society-site-visit-aug-23-2014/

カラカウア王による解禁後にフラは復活できましたが、当時はアメリカ人や富裕ハワイ人が圧倒的な政治力を持っていたことや、アメリカの圧倒的な財力や技術力を前にハワイ文化の再興よりもアメリカ文化への迎合が進んたことから、フラダンスが大きな盛り上がりを迎えることはありませんでした。

ハワイ王国時代からアメリカ文化に偏り過ぎずにハワイ文化を取り戻そうとする運動は時々起きていましたが、1960年代後半にアメリカで起こった公民権運動の流れを受けて、1970年代になってハワイ人がフラやハワイアンミュージック、ハワイ語などハワイ文化を取り戻すハワイアン・ルネッサンス運動が盛り上がりました。

ハワイアン・ルネッサンス運動は、ハワイ人がハワイ人としての自信と誇りと同時に失われつつあったハワイ文化を取り戻す運動で、当時は各地でフラの競技会が行われ、フラ人口を増やそうとする動きも活発でした。多くのクムフラもこの時期に誕生しました。フラにとっての冬の時代が終わった時期です。

1964年から開催されてきたメリー・モナーク・フェスティバルが、1971年にコンペティションとしての形式に変わったことを契機に、今の形であるカヒコとアウアナとして分けられて、どちらも踊られるようになりました。

フラ・カヒコの復活

ハワイアン・ルネッサンス運動のなかで、フラの世界でもフラ本来の姿である、「ハワイの人々の神聖な儀式」という原点に立ち帰ろうとする動きが起こりました。そのような動きの中で、カラカウア王によるフラ解禁後に進化した新しいスタイルのフラである「フラ・アウアナ」に対して、フラ本来の古典的なフラである「フラ・カヒコ」を復活させました。

フラ・カヒコには、ハワイの神話や宗教的な伝統の影響が多く見られ、神や王への讃歌、自然にまつわる要素が多大に含まれています。現代的で比較的新しいフラであるフラ・アウアナとは異なり、ハワイの歴史や神話、伝統が色濃く残っているのがフラ・カヒコといえるでしょう。

そもそもハワイ語のアウアナ【Auana】には「正道をそれる」という意味ですが、今日私達がフラダンスで思い浮かべるイメージは基本的にフラ・アウアナです。フラ・アウアナがあったことで現代までフラを伝承することができたこと、大衆化することで世界中にフラダンス人口を拡大できたこと、世界中で認知されるハワイの重要な観光資源となったことを考えると、フラ・アウアナは既にハワイにとって重要な存在になっているといえます。

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