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タヒチアンダンスの歴史

タヒチアンダンスの起源

タヒチアンダンスとは、フラダンス同様にポリネシア人が持ち込んだダンスの一種とされています。大昔にポリネシア人らはトンガ、サモアといった地に移住しています。今で言うところのポリネシア文化の起源がここで出来ています。そして、ポリネシア人はさらなる自由を求め、カヌーを使用して太平洋へと渡って行ったと言われています。

その航海の中で最初に辿り着いた場所がタヒチです。ポリネシア人はその他の様々な島々にも渡っていきました。こうした島々で、ポリネシア人たちが神様に対してお祈りをする時や、娯楽として仲間と踊っていたダンスがタヒチアンダンスの起源であると考えられています。

タヒチアンダンスの禁止

しかしこのタヒチアンダンスも、フラダンスと同様に19世紀頃にやってきたキリスト教の宣教師によって禁止されてしまいます。ポリネシア文化特有の官能的なダンスは、キリスト教の規律に違反していたのです。

それ以降数十年間は、タヒチアンダンスを踊ることは制限されていました。しかしながらタヒチに住まう人々は、密かにダンスチームを結成して、いつかくる解放のときを待ち、ダンスの伝統を守っていました。

タヒチアンダンスの復活

20世紀に入り、抑圧されていた文化が取り戻されます。また1950年代になると、モウアという女性がヘイヴァというダンスグループを結成します。これを機に、公の場でダンスを披露する機会が増えていきました。古代のイメージとは異なる、女性らしい綺麗さと優雅さを取り入れた新しいタヒチアンダンスが広まりました。

その後は、ヘイヴァ出身のダンサーが様々なグループを作ります。ダンスコンクールや大会などでそれぞれのグループが競うようになっていきます。そうしてタヒチアンダンスは盛り上がり、次第に欠かせないものとなりました。

1984年にフレンチポリネシアでの自治が認められると共に、7月に行われていたお祭りの名称は「ヘイヴァ・イ・タヒチ」と改められます。そこでのタヒチアンダンスが再興の兆しを見せ、今へと繋がっていきました。

タヒチの重要文化に

現在もタヒチアンダンスは公式な祭典等で披露されており、タヒチ文化の重要な一翼を担っています。タヒチアンダンスの衣装はドレスやパレオ、ココナッツブラ、自然素材の羽根、花、貝などを組み合わせたセクシーなデザインが多く、代表的なタヒチアンダンスであるオテアは激しいドラムのビートとセクシーな動きが特徴的です。フラダンスと比較すると、より情熱的で官能的なダンスと言えるかもしれません。

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